爺婆の若き日のエピソード

(長谷川昭次郎さんの投稿)

緊急事態宣言が解除されて行動が緩和されたとはいえ、東京都内では未だ感染者が確認されるので、体育室での吹矢練習は中止されたままで6月末まで延期されています。こうなると最後は神仏に祈りたくなるのが人情です。しかし神様仏様は直接何もされないことは戦時中の経験で分かっているのに、心の中では手を合わせて、助けてくださいと祈ってしまいます。
私は神様も仏様もおられるものだと信じたい一人です。そこで私が若い頃に経験したエビソードを、二件お話ししますのでご笑覧ください。

神様仏様に助けられたこと 2020.6.5 長谷川昭次郎
1.神様が助けてくださった
私は妻が妊娠した当時(昭和 32 11 月)阪大宿舎に住んでいた。そこは戦後まもなく文科系学部創設に当たり、京大始め三大学から教授の方々を招聘するために、急遽箕面の学生女子寮前に建てられた木造建築であって、各省共同官舎のビルが建設されて先生方が移られた後、順次事務職員が入居した。したがって旧形式の建物で、二個一の四軒八家族、部屋は和室二間と台所・廊下・トイレの配置で、風呂は別棟共同利用で掃除釜炊きは当番制、電話は学生女子寮と宿舎が共用であった。ところトイレが、男女兼用式で中ほどを一段高くしてあって、臨月の妻は使用するのに恐がっていた。
7 日の午後遅く妻から職場に電話があり、「破水があったので急遽予約の阪大病院石橋分院に入院した、応急処置をして貰ったので今は安定している」とのことで、予定日より早くなるのかなと思い帰る時に寄って見た。そしていきさつを聞
いてみると、「昼過ぎに尿意を感じてトイレに入ったとたんに破水した。吃驚して医者から聞かされていたことを思い出して処理し、直ぐ向かいの女子寮の方に頼んでタクシーを呼んでもらい荷物は既に用意ができていたので、タクシーが来ると直ちに入院し応急処置をして貰った」とのことであった。看護婦さんも「躊躇せず直ぐに来られたのが良かった、直ぐ処置ができたので、今は安定しているので後は任せておいてください。何かあれば電話しますから、明日も出勤してもらっても大丈夫」と言って下さった。それにしても破水して多少身軽になったとはいえ、誰の助けも求めず不安ながら自分一人で病院に駆け込んだとは、大した度胸でまさに女丈夫であると感心した。
8 日の昼頃、看護婦さんから電話があり、無事に安産で母児ともに元気ですと聞かされ、前日午後入院で翌朝出産で予定より早く出産したので私の方が吃驚した。 産室で母児(長男)ともにピンクの顔色で、添え寝している姿を見て先ずは安心。しかし破水した時は一段高いトイレでさぞ怖かっただろうし、陣痛であれば近所の方にも面倒を掛けて大変なことになっていた。それが自分の判断で処理を済ませて、直ちに一人で病院に駆け込めるなんて、これはトイレの神様のお助けがあったからだろうと思い、何時もトイレを綺麗にしていたからだよと労い、ともに手を取りあって喜び、感謝したのである。
それからは、安全を考え予定日より早く入院し、いずれも安産で一姫二太郎に恵まれた。
それにつれて子供の頃に姉が「あんたは庭と前の道を掃除するだけでいいね、うちは便所の掃除まで手伝はされたのよ、大便器は下が見えて怖いので嫌がると、神様は神棚だけでなくあらゆるところにおられるの、特に大便所は女子が一番よく使うし、すこともあるから常に綺麗にするのです、文句は言わないこと!汚せば罰が当たる、綺麗にしておけば何かあった時には神様が助けてくだる」と
母によく言われたと私に愚痴っていたことを想い出した。
妻の安産はまさにその通りになったのかと思い、子は大きくなる頃から厳しい家庭教育をされていたようで、特にトイレは念入りに綺麗にしているので感心したが、や子供が汚すと注意された。私も子供の頃に母から「道にも神様がおられる。小石を蹴ったり紙屑を捨てると罰が当たって,石に蹴躓いて怪我をすることがあるから、く時は注意しなさい」と言われたことを思い出した。
2.仏様が間に入って仲裁してくださった
明日の会議の準備で遅くなり、帰って晩酌と夕食を楽しんでいると、妻が急に「貴方聞いてちょうだい」ときた。「今食事をしているところだから済んでからにして」と答え、何があったのかなと思って「大事な話しか?」「いいえ、それほどでも」「そうしたら日曜日にでも聞くよ」と言うと。拒否されたと思い気に障ったのか「いや今聞いてください!」と開き直ってきた、私も大人げないとは思ったが、晩酌の邪魔をされたのでつい腹が立ち、言い返そうと思ったがいさかいを起こしてはと考え、とにかく逃げるが勝ちと、無視してさっさと食事を済ませて寝てしまった。
するとなんと彼女もさるもの、枕元まで来て布団を捲らんばかりにして「人がせっかく話を聞いて欲しいと言っているのに逃げるのは卑怯ですよ!」と上段の構えで掛ってきた。こうなると亭主も負けてはならぬと、真剣白刃取りに構え?で横を向いたまま無言無視を続けた。ついに諦めたのかさっと立ち上がったのでやれやれと思うと、 なんと仏壇の前に座り込んでいる。そして聞こえるよう
に「小言でどうだこうだ、、、、」とぶつぶつ文句や愚痴を始めている。3 分程すると諦めたのか自分もサッサっと食事を済ませ寝床に就いてしまった。寝床は別にしているので後は安心で朝まで熟睡したが、寝付く前に私も反省してなにがあったのか考えてみた。
その頃は宿舎を出て父に建てもらった自宅に住んでいたので、近所の付き合いか子供達のことだろうと憶測をしてみたが、妻には大阪弁がまだ馴染めないので、近所のおばちゃんの言い方がざっくばらんで、強く聞こえて文句を言われたと受け取って、れで滅入って慰めてほしかったのかと思ったが、これからもあることで自分で考え処理してもらわないと、そんなことを何時も愚痴らえてはたまらんとふて寝をした。婦喧嘩とは些細なことが原因で起こるものだなと、その時はじめて知った。
翌朝起きて顔を見たとき気まずそうにしているので、私は昨夜のことには一言も口に出さないことにした、妻も安心したようで何時ものような振る舞いで、元気に「行ってきま~す」と言うと、彼女も明るく「行ってらっしゃい~」で、この件は仏様が間に入って引き分け勝負なし、一件落着である。
私は通勤電車の中で、昨夜妻が仏壇に向かって愚痴を言っていたが、仏様は無言でなにもおっしゃらずホットケの姿勢で中立してくださったので、本人も言いたいことは全部吐き出してスッキリしただろうし、もし仏様が一言でも注意されたらかえって気分を悪くしたと、彼女なりに大人げなかったことを反省したのか諦めたのか、夫には些細なことは愚痴らない方が良いと、自覚してくれたのだろうと自分勝手な解釈をした。私は職場での愚痴は家では一切しないことを妻も知っているはず。
そうして、こういう時に仏壇があったことは、失礼ながら利用の仕方で家内安全となり、助かることを改めて有難いと思うようになったのである。妻も仏壇は大事にしてくれているし、また時折長く祈っていることがあるので、「どうしたの?なにかあったの?」と聞くと、ニヤッと笑って「な~いしょ」と肩透かしをされることがあって、一本取られた格好になる。
その後は愚痴を聞くこともなく、お陰様で今日まで二人仲良く長寿で来られたことを
感謝している。

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