梅雨と余震の合間に

(楠本征三さんの投稿)
大阪北部地震怖かったですね。生きた心地がしませんでした。
あれから2週間、梅雨と余震の合間に京都東福寺界隈ををぶらり
天得院
東福寺五塔頭の一つで桔梗の寺で知られるという謳い文句につられ訪れる。
この異常な暑さで、苔の瑞々しさもなく、桔梗もちらほらでいささか期待はずれ。

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 禅寺らしい窓越しの庭、 縁台の下に置いてあった下駄を履いてパチリ、この後庭に出ないでくださいと怒られた。

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それより豊臣家滅亡の原因となった方広寺の鐘銘を、秀頼に頼まれて撰文したのが当時の住職で、銘文中の「国家安康、君臣豊楽」の文が徳川家を呪うものとして家康の怒りを招き、天得院が取り壊され、現在の建物は後に再建されたものというのが興味を引いた。


東福寺

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寺は知っていたが、奈良の東大寺と興福寺の二文字とって命名されたというのは知らなかった。。
横の日下門から境内へ入ったのでいきなり本堂。

 

400円払って通天橋へ、秋にはこの通天橋からの紅葉を一目見ようと、多くの観光客が列を成すようだが嘘のように人がいない。橋の横は、もみじがたくさん植えられた庭園で地面の苔も緑色に光って風情がある。木漏れ日の境内をゆっくり歩くと、すーっと身体が癒されていきます。

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通天橋の真ん中あたりからの景色、一面の青いもみじがすばらしい。秋にはこれが真っ赤に染まるのか。通天橋を渡り終えた先にある開山堂
   
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東福寺本坊庭園  
方丈の東西南北の4周に庭園があるのは東福寺だけとか。
方丈東庭
狭い空間の中に七つの円柱の石と白砂と苔で北斗七星を表わし、2列の生垣が天の川にみたてているという。円柱の石は、もともと東福寺にあった東司(=トイレ)で使用されていた礎石の再利用とか 
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方丈南庭
巨石の力強さ、円く描かれた砂紋、築山の苔地と砂紋の区切りが斬新。
しばし座りこんで眺める。記念に1枚でもと思うが頼む人がほとんどいない。
日本のカップルと思しき人にお願いしたが、アンニョンハセヨの方、ワカリマセンというのを身振り手振りでカメラ、スイッチオンでOK……カムサハムニダ
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 方丈西庭と北庭
西庭は日本古来の伝統的な市松模様を、サツキを刈り込んで表現するという斬新なデザインでした。日本庭園のイメージが変わりました。
北庭は、最初は規則性のある市松模様が、どんどんと崩れていき散り散りに。そして一つずつの石が東へと消えていくのには意味があるようです。
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